のんびりなぴあの

ピアノの練習記録とおひとりさまの日常です

好きな名前で暮らしたい

昨日UPした記事、タイトルと中味がどこで繋がっているのかわかりにくいです。
実は昨日の朝、「選択的夫婦別姓」を話題にしたラジオを聞いていて、
そのことが思考の大半を占めていました。


そんな時に「遺伝子」のラジオの件も思い出しながら、
いかに生物というのは多様であるか、遺伝子というもので連綿と続いてはいるものの、
両親の遺伝子が絡むことによって全く新しい「個」が誕生するという事実を鑑みて、
「家族は同姓でなければならない」などの、家族を1つの単位とする考え方が、
一体何の為の縛りなのかが疑問でなりませんでした。


なので、自分の中では「姓名」の話題と「遺伝子」の話題はリンクしていました。



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実は子供の頃から自分の名前が嫌いです。
苗字もどちらも。(親には言ったことないけど)
苗字は聞き取りにくい(電話などで必ず聞き返される)、上手く書けない(習字とか)、
社会に出ると「珍しく、どこの出身だかわかる」などいろんな理由で嫌いです。
下の名前も響きが嫌いです。


で、結婚して苗字は変わったけど、そっちも嫌い(笑)
理由は 上記とおんなじ(またもや!)
おまけに画数が多くて、受け取りのサインとか時間がかかる😅
(小川さんとか憧れるわ〜)


歴史上の人物が大人になると、名前を次々と変えれたのが羨ましくて仕方ありません。
せめて、職場では自分の好きなものを使ってみたいと今でも思っています。
(本名はいろいろ危険なこともありますからね、特に若い子などは)


苗字なんて明治になってから、国民を把握するのに付け始めたわけで、
家族を一緒にしようとしたのも、把握に便利というだけですよね。
それ以前は別姓だったと聞きます。
それを今更「絆」とかって言われても・・・


名前が違うってだけでバラバラになるような家族に絆もへったくれもないし、
同じ名前でも「虐待」や「ネグレクト」はなくならないじゃない。


私の連れ合いも長く家族に苦しめられたので、本当に解放してあげたかった。
私の母が「うちの子になってくれたらよかったのに」というくらいでした。
家族が助け合うのは理想だろうけど、政治家が言うとただのファンタジー。
苦しんでいる人の方を見て政策を立ててほしいよ。


mohamed HassanによるPixabayからの画像